アメリカにおける生殖補助医療分野の課題
生殖補助医療分野とは、体外受精をはじめとする近年進歩した不妊治療を指しますが、特にリプロダクティブ・ヘルス(性と生殖に関する健康)ケアには、避妊、性感染症の予防と治療、中絶サービス、妊産婦ケアなどが含まれ、女性が健康で充実した生活を送る能力に大きな影響を与えます。この課題は、女性だけでなく、家族を築く家庭や親子生活、社会的構造においてもインパクトが大きい課題で、インパクト投資としてこの分野に対する投資の期待が高まっています。
アメリカでは、リプロダクティブ・ヘルスケアを受けられない女性があまりにも多く、医療へのアクセスやケアの質における格差は、人種差別や偏見によって複雑化しているのが現状です。
米シンクタンク・THE CENTURY FOUNDATIONによると、2020年、黒人女性は白人女性に比べ、予防可能な妊娠関連の原因により死亡する確率が3倍も高く、1,900万人以上の女性が、避妊を提供する保健センターへアクセスを欠いていました。また、アメリカの多くの地域では中絶医療を提供するクリニックがなく、女性のほぼ4分の1は、妊娠期間を通じて適切な妊婦ケアを受けることができない状況です。
ドッブス判決の衝撃
さらに追い打ちをかけるように、2022年6月24日、アメリカ最高裁判所のドッブス判決は、アメリカ社会だけでなく、多くの国でニュースとなり、反響を呼びました。必要なときに人工妊娠中絶手術を選び、医療を受けるというアメリカ合衆国憲法が保障するはずの『選択する権利』が最高裁判所裁判官により、憲法上の権利ではないと宣言されたことに世界は驚きました。
生殖分野への道徳的・経済的な投資必要性の高まり
ドッブス判決から4カ月以内に、18の州が中絶医療へのアクセスを一部またはすべて禁止、2500万人以上の生殖年齢にある女性が、それぞれの居住地で中絶医療を受けられなくなりました。これに対し、企業や個人投資家、慈善団体では、特に社会的不平等により最も被害を被っている人々( 黒人、ラテン系、先住民の女性2 、トランスジェンダー、ノンバイナリー、ジェンダー不適合者、若者、障がい者、農村地域の人々、低所得者など)の医療ケアへのアクセスと質の向上を明確に目指し、インパクト投資の追求を強化していきました。
リプロダクティブ・ヘルス、マタニティ・ヘルスに投資するベンチャーキャピタルファンド、RHキャピタルのマネージング・ディレクター、エリザベス・ベイリー氏は、「ドッブス判決後の3日間で、これまで半年かけた資金調達額を達成するなど、投資家に大きな意識の変化があった」と言います。
米コンサルティングファーム・Bridgespan Groupが提案する潜在的なインパクト投資機会
非営利組織に特化した米コンサルティングファームBridgespan Groupでは、投資家の課題認識と関心に応えるべく、リプロダクティブ・ヘルスケアの専門家、富裕層を含む資金提供者、インパクト投資ファンド・マネージャー、開発金融機関のリーダーなど、20名以上の関係者に文献調査とインタビューを行い、今後資本を投下することができる9つの投資機会を特定しました。
1.中絶と避妊のための遠隔医療
避妊へのアクセスや、薬による中絶処方によるタイムリーな中絶へのアクセス向上など対面診療におけるボトルネック解消につながる可能性がある。物理的なインフラが不要であるため、幅広く拡大できる可能性があるが、その範囲は地域ごとの法規制により限定される。
2.公平性を重視した妊産婦医療や助産施設のインフラ
安全で様々な人種の文化が尊重された妊産婦医療や助産施設の普及により、早産や低体重児出産の割合を減らす可能性がある。医療提供者、それを支援する仲介者の双方に投資する機会がある。
3.在宅妊娠・産後ケア
デジタルプラットフォームやツールを通じて、患者が自宅で利用しやすく個別化された妊娠、出産、産後ケアを提供する企業が増えている。こうしたサービスは従来のケアを補完し、個々のニーズや懸念に合わせたより包括的なケア体験を生み出す。
4.患者と医療者のマッチング
デジタルプラットフォームの活用により、医療提供者に患者の多様な性自認や人種、民族、および/またはジェンダーのアイデンティティを共有することで質の高い、患者は文化的に適切な生殖医療を受ける可能性を高めることができる。
5.医療者のスキル向上
医療提供者は、多様なアイデンティティを持つ患者に対して、より包括的で文化的に適切なサービスを提供するための訓練を受けることができ、質の高いリプロダクティブ・ヘルスケアの需要に対応することが可能となる。
6.医療品の販売・流通
公的資金と保険の制限のため、中絶提供者を含むリプロダクティブ・ヘルスケア提供者は、主要な医薬品を過剰に請求される危険性が高まっている。低所得層や社会から疎外された患者へのサービス提供のためにも、安定した価格設定とジェネリック薬品など幅広い医薬品への容易なアクセスを確保する流通網が重要。
7.医療品製造
中絶薬および緊急避妊薬など関連する生殖医療用医薬品の生産改善に取り組む製造業者などに投資することで、安価で信頼できる避妊具、医療品、医薬品へのアクセスを向上、質の高い医療提供の実現を可能とする。拡大する遠隔医療や通信販売処方市場において、医療提供者の能力と手が届く範囲が改善され、増大する需要に応えることができる。
8.生殖関連製品の研究開発
より効果的かつ低コストで消費者にやさしい医薬品や技術を開発する研究開発企業への投資は、数年から数十年にわたる長期的で忍耐強い資本を必要とするが、現在のケアモデルや提供チャネルを破壊することによって生殖医療エコシステムを再構築する重要な可能性がある。主要製品が成功することが証明されれば、イノベーションへの追加投資を促進することが可能。
9.仲介投資ファンドを通じた包括的なエコシステム支援
仲介投資ファンドは、パートナーからの投資をプールし、投資家の目標とその目標達成を支援する組織をつなぐ重要なつなぎ役として機能する。幅広いニーズに対応しており、現場の知識、投資と市場の専門知識を活用するため、新規参入者のリスクを軽減することができる
以上、9つの投資機会をエントリーポイントとして、リプロダクティブ・ヘルス(性と生殖に関する健康)への投資検討が国内外で進められていくことが予想されます。
まとめ
アメリカの生殖分野には、あらゆるニーズに応える医療サービス・ケアが存在し、特にドッブス判決以降、消費者のニーズと投資家が関心が高まりを見せる一方で、そのサービスやケアを受けることができる人々に偏りがあることからよりインクルーシブな仕組みの実現に焦点が当てられていることが見て取れます。
近年日本でも、「フェムテック(女性の健康に対応するテクノロジーを駆使した消費者中心の製品とソリューション)企業」が様々なメディアで取り上げられるなど、女性の健康や生殖分野に関心が寄せられており、今後さらなる本分野への研究開発投資が期待されています。
参考資料
Opportunities for Impact Investing to Champion Reproductive Care After Dobbs (Bridgespan, 4/18/2023)
Entry Points for Impact Investment in Reproductive Health (Bridgespan, 4/18/2023)
The dawn of the FemTech revolution (McKinsey, 2/14/2022)
Interactive Map: US Abortion Policies and Access After Roe (Guttmacher Institute)
The Worsening U.S. Maternal Health Crisis in Three Graphs (The Century Foundation, 3/2/2022)
Photo by Matteo Badini on Unsplash